本に書いている事が実践できないのはなぜか。
今、心理学に関心を持つ人は多く、成功するためや夢を実現するハウツー本や自己啓発本をよく見かけます。
こんな事思った事ないでしょうか?
本を読んでこうなったとか、成功した、実現したとか、書いているわりに、自分はそうならないとか、長続きできないとか。
私は、そう思う人が多いのではないかと思います。
本を読む時、私たちは「思考」を使います。
「思考」だけでは、本当の理解はできません。
人は、「体験」⇨「体感」があって「納得」⇨「本当の理解」となります。
「思考」に入れ、自分の体験や想像から「体感」するのです。
自分の体験や想像から「体感」なくして、「本当の理解」はあり得ません。
学校の勉強のうちのほとんどは、この「体感」なくても「暗記」や「パターンに当てはめる」という方法で良い点数がとれます。
人間関係においても、「良い子」のガイドラインに沿った言動さえすれば何とかなる場合も多いかもしれません。
だから、「体感」をせず、「暗記」や「パターンに当てはめる」やり方で、それが「理解」と信じ、ススっと大人になった人も多いと思います。
「優秀な子」「頭が良い子」というレッテルが簡単に貼られますから、「生きやすい」かもしれません。
一方で、「体感」を理解の重要な要素と捉えている子は、「生きづらさ」を感じるかもしれません。
常識や固定概念や与えられた知識に関して納得できず、「なんで?」と思うでしょう。
大人の目からすれば、「めんどくさい子」「理解できない頭が悪い子」と映るかもしれません。
点数に繋がらなくても、本当に理解しようとしているのは、私は後者だと思います。
受講生の人も、「頭では分かるけど」とよく言っています。
これは、「分かっている」という事ではなく、「知識として暗記している」という事です。
こういう言葉を言う場合は、「体感」が抜け落ちているということです。
それは、未知のものだからというよりむしろ、「体感」を拒否しているように思います。
「理解」は簡単にできる事ではありません。
得た知識を、何度も何度も納得するまで自分でそしゃくする作業の繰り返しです。
そういう点で見れば、後者の方が、「理解」とはそういうものと分かっている分、「理解」へのハードルも低いかもしれません。
タイトルに戻りましょう。
本に書いている事が実践できないのはなぜか。
体感しないと理解できません。
体感=納得=理解です。
理解なくして、実践はできません。
更に言えば、納得できないものは実践できません。