第13話 出産の日

手術前夜、主人が帰った後、私は今まで書いてきた日記全てを読み返しました。
結婚後、なかなか子供ができなくて悩んだ日々、子宮外妊娠、不妊治療、四回の体外受精、双子の妊娠、そして四十六日間の寝たきりの入院生活…。

今までのことが鮮やかに蘇ってきます。本当にいろいろな事がありました。涙を数え切れないほど流し、子供を持つ夢を何度諦めようとしたか分かりません。けれど、私達はもがき苦しみながらも、体外受精という小さな希望の光だけを頼りに、必死で努力してきました。全ては明日という出産の日を迎えるために…。
手術前夜にも関わらず、その時の私には全く緊張はなく、心の中はやれることはやったという満足感で満ち溢れていました。

ぐっすり睡眠をとった五月十二日の朝、手術のための検査と説明が全て終わると、四十三日間つけられていた点滴全てが外されました。液漏れで数日おきに針をあちこちに移した為、私の両腕は、もう刺すところがないほど見るも無残な状態でした。
しかし、私の心はとても晴れやかで、手術前の準備でやってくる看護婦さんや心配して覘いてくれた入院中の友達に、「お腹すいたあ。」などと言って笑い合うほど落ち着いていました。

時間が経つにつれ、点滴が外されたせいか、お腹が痛むほどの強い張りが度々起こり始めました。しかし、私には何一つ不安はありません。後はもう、運を天と先生に任せるだけです。
「そろそろ手術室に行きますよ。」という看護婦さんの声を聞くと、私の全身を緊張感が走りました。その時の私には、怖いものは何一つありませんでした。

手術は午後二時から始まりました。手術室には先生を始め、八名のスタッフが入りました。
まず、背中から針を入れ下半身を麻酔し、効いてきたのを確認すると、お腹にメスが入ったようでした。しばらくすると、プシューという空気が抜けるような音のする中、まず一人目が取り上げられました。
ガガガと何か吸引する音がした後、夢にまで見た我が子の泣き声が聞こえました。
一人目は一七五二グラムの女の子でした。先生は、もう一人取り上げるのに少し手こずっているようです。
後で聞いた話ですが、足にへその緒が絡まっていたそうです。
まだかまだかという不安にかられながら、ついにもう一人が取り上げられました。二人目は一八五六グラムの男の子です。

一人目が出てきてからもう一人出てくるまで、私にはずいぶん長く感じられたのですが、たった二分のことでした。
タオルにくるまったとても小さな小さな二人を見ると、ようやく私も安心し、胸が熱くなり涙がこみ上げてきました。
その時の私は、今までの様々な出来事に思いを馳せる事もなく、子供が二人とも無事産まれたこと…。それが只々うれしくて、熱い涙が頬を伝いました。
S病院の先生の、産まれた時の喜びは十倍になるという言葉…。その言葉が持つ意味を、私はその時初めて実感しました。

しかしその思いに浸る暇もなく、未熟児で産まれた二人は、一分一秒を争うかのごとく、出生直後の処置の為保育器に入れられバタバタと運び出されました。
私は抱くことも許されず、数秒間顔を見ることしかできませんでした。
子供が手術室から運び出された途端、私の体は激痛に襲われました。
帝王切開の場合、子供への影響を考え麻酔は最小限におさえます。その為、結構痛みはあるという説明だったのですが、不思議なもので緊張感からか、子供をお腹から出すまでは、ほとんど痛みを感じませんでした。
その痛みが急に起こったのです。

先生は、全ての処置を終えるとしばらく私の手を握り、

「今日まで長かったわね。」

と言ってくれました。私は涙を流しながら、

「ありがとうございました。」

と言うのがやっとでした。
本当に感謝の気持ちを伝えたい時というのは、言葉にしたくてもできないものなのかもしれません。

私達の闘いは、先生と初めて出会った時から始まりました。
先生から悲しい現実を告げられる度、私は先生の前で泣きました。
そんな私を、先生は決して甘やかしはしませんでしたが、いつも支えてくれました。だから私達は、いつも現実から逃げることなく、正面を見据えて生きてこられたのだと思います。
入院中は毎日病室へ顔を出し、どんな不安や疑問をぶつけても、いつも真剣に受けとめ、分かりやすい言葉で教えてくれた事。S病院への紹介状には、枠からはみ出すほどぎっしり書かれていたこと…。今でもよく覚えています。いつでも先生がいてくれる─いつもそう思えたからこそ、最後まで頑張れたのだと思います。

私は、この気持ちを伝えたいのに言葉が見つからず、ただ涙を流しながら、先生の手を握り締めていました。
先生の話によると、子宮内膜症の癒着がひどく、できるだけはがそうとしたけれど、全部は無理だったそうです。
そしてやはりその影響などにより、次の妊娠を望むのであれば、体外受精でないと無理だとはっきり言われました。
一方、主人は手術の間中、不安と緊張で胸も張り裂けんばかりだったようです。

術後の先生の、母子共に無事という説明を聞いてようやく安心したのか、その場にうずくまり大きな声で泣いたそうです。
主人にとっても長く苦しい闘いだったことでしょう。

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