第12話 不安な日々

桜が満開を迎えた頃、三十週に入りました。
お腹の中の二人の位置が下がり、それより下がらない為に、腰をずっと上げておくよう指示が出されました。
その頃には点滴の濃度は二倍となり、量もどんどん増えていきました。するとその副作用により、動悸と手の震えが始まりました。

看護婦さんの話によると、その時の私の脈拍は、一日中全速力で走っていたようなものだそうです。寝たきりで何もしていないにも関わらず、私は、一日中疲れきっていました。
さらに、子宮が大きくなって胃が圧迫されるのか、吐き気にも悩まされ、食事もわずかしか喉を通らなくなりました。

目標としていた三十四週を超えると、点滴の量はさらに増え、副作用はひどくなる一方なのに、お腹の張りは相変わらずです。毎日不安を抱えたまま一日を過ごし、夜になるとさらに張りがひどくなり、心配でたまらなくなった私は、看護婦さんに不安をぶつけました。
しかし、誰にぶつけても中途半端な慰めや励ましの言葉ばかりで、私はだんだん苛立ちを覚え始めました。

ある看護婦さんがそんな私を見て、寝たきりの状態でいらいらしていると思ったのでしょう。

「今の状態なら帰れるよ。」

と言いました。
その言葉を聞いてすっかり安心した私は、

「一度帰りたい。」

と先生に言いました。すると驚いた先生は、

「とんでもない!今点滴を外したら陣痛が始まってしまう。絶対安静よ。」

と言いました。

先生と看護婦さんの話が全く違うので、私の頭の中は混乱してしまいました。
ずっと寝たきりだというストレスもあったのでしょう。私は、主人の前で声を上げて泣いてしまいました。
主人は、

『何の為に入院しているんだ!』

と私を叱りとばしました。

しかし、後で先生と話し合い、一度だけなら車椅子で病院内を動いていいという許可をもらってくれました。
主人は車椅子を押しながら、先生と話したことをポツリポツリと聞かせてくれました。
私が精神的に相当参っているようだ。肉体的にも限界が来ているのだろう。そろそろ出産の時期が来たのかもしれない─先生はそんな事を言って、車椅子での外出を許してくれたそうです。

入院以降初めて外の空気に触れると、初夏を思わせる気持ちのいい風が吹いていました。
空を見上げると雲一つありません。私は、外へ出られたことがうれしくて、そして先生や主人の気持ちがありがたくて涙がポロポロ出てきました。
それからは先生の言葉を信じ、不安を口にはしませんでした。

しかし、字が書けないほどの手の震えや動悸、吐き気や強い張りにいつまで耐えられるのか。
そしていつまで耐えなくてはならないのか。
こんな状態で、子供は本当に無事産まれてくるのか―私は一日に何度もカレンダーを見ながら、一日中ベッドの上でそのことばかり考えていました。

それから数日後の五月八日の早朝、出血の後、強い張りが続くようになりました。
それで点滴の量を上げると、手ばかりでなく足まで震えはじめました。
その上動悸もひどくなり、何度も吐くようになりました。すると、今まで何とか口に押し込んでいた食べ物も全く喉を通らなくなり、ついには強い張りの時子供の心音が何度か下がるようなことが起こり始めました。

診察を受けた結果、子宮口が少し開いてきており、これ以上状態の悪い母体に子供を入れておくのは危険だという結論に達しました。そしてとうとう、五月十二日、帝王切開と決まったのです。

手術の日が決まった途端、不思議と私の心は落ち着きを取り戻し、一方主人は、急に動揺し緊張し始めたようでした。

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