第8話 3回の体外受精
私の治療内容は、生理が始まるとすぐ、卵子を複数採取するため排卵誘発剤を注射し、決められた時間に薬を点鼻します。それは、卵子が十分成熟するまで毎日続けます。
その間、注射を一日でもとばしたり薬の時間を間違えたりすると、途中で排卵したり卵子がうまく育たなかったりします。
そして観察し、十分成熟したら、排卵を起こさせるホルモン剤を注射します。その二日後には採卵します。
採卵の時は全身麻酔をし、その後しばらく安静にして帰ります。
次に、採卵した卵子は培養され、精子と受精させます。
そして二日後の朝、病院に電話して受精卵が分割しているかどうかの確認。
分割が確認されると、その日の何時に病院に来るよう指示が出されます。
受精卵の分割が確認され、連絡を受けた私は、受精卵を子宮に戻しました。
麻酔はせず、長い管のついた注射器で、モニターで確認しながら行いました。
私の場合、産道が曲がっていて管が入りにくかったようで、毎回痛い思いをしました。
けれど、この日のために頑張ってきたのですから、痛みも全く苦にはなりませんでした。
体外受精終了後は、ずっとストレッチャーに乗ったまま三時間、起き上がることはもちろん、腰を動かすことも許されませんでした。
寝返りも打てない状態での三時間の長いことといったら!しかし、これで体外受精全ての過程が終わりです。
これで生理がこなければ、めでたく妊娠ということになります。
私は数冊の雑誌を持ち込み、何とか時間をつぶしました。
体外受精は、いつ終わるか分からない孤独な闘いです。正に、先の見えないトンネルに入ったようなものです。
排卵誘発剤の副作用で、私の卵巣は腫れ腹水は溜まり、洋服の上からもお腹が出ているのが分かりました。
それに、一度の体外受精で妊娠するとは限りません。
体外受精をする度、私達夫婦は過度に期待し、失敗しては二人で涙を流しました。
『まだ子供を諦められない。もしかしたら次は…。』と、また一から始め、同様に期待してしまうのです。
しかしその一方で、いつか子供を諦め、体外受精をきっぱりやめる決断もしなければならないと、冷静に考えている自分がいたのも事実です。
私は、その冷静な考えにどうしても従うことができませんでした。
毎日注射をするため、木枯らしの吹く中、往復三時間かけて病院に通い、副作用で腹水が溜まって、体調が悪くなりました。
しかし、全くつらさを感じませんでした。
それは、こうして治療を続けている限り、子供を持つという希望をわずかでも持てるからです。
子供が生まれた時の夢を描くことができるからです。私は、そういう希望や夢だけを頼りに、黙々と治療を続けました。
そして主人も、何の文句も言わず、全面的に協力してくれました。
しかし、結局三回の体外受精が失敗に終わりました。
三回目の挑戦が終わった時、主人は私に、
「もう体外受精は諦めて、二人で生きていくことを考えよう。」
と言いました。
主人は何も言いませんでしたが、主人がどんなに子供を欲しがっているか。
そして、この三回の体外受精でかなりのダメージを受けた私の体を、どんなに心配しているか、私は痛いほど分かっていました。
それは、母からも、
「そろそろ体をいたわるように。」
と、注意されたばかりの頃のことでした。
そんな主人や母の気持ちに感謝しながら、
「もう一度だけやらせて。今度が駄目だったら諦めるから。」
と頼みました。主人はそれ以上何も言いませんでした。
しかし、四回目の体外受精に入る前に、母が交通事故で足を複雑骨折してしまいました。
私は、母の身の回りの世話と家業の手伝い、そして私自身の仕事で、実家と自宅を夜中のフェリーで往復する日々を送らなければならなくなりました。
その結果、体外受精はしばらく休むことになりました。