第4話 入院

手術は何の問題もなく終わり、その晩は主人が付き添い、全ての世話をしてくれました。
その日は、麻酔の副作用の為吐き気がひどく、吐き気とお腹の痛みで一晩中苦しみ、
『この苦しみが子供を産むためのものなら、どんな痛みも吐き気も絶対耐えてみせるのに。』と、やりきれない思いと失望感でぽろぽろ涙が出てきました。

次の日には、一般病室に移りました。
六人部屋で、他の患者さん達は長く入院している年配の方が多く、まだ身動きできない私に何かと口うるさく言ってきていましたが、私は全く気にしていませんでした。やっと手の届きそうだった子供を失ったばかりの私にとって、全てのことがどうでもよくなっていました。

そんな中、主人が受験中の生徒から、手紙を預かってきてくれました。その手紙には、
〈○○大学無事合格しました。今回のこと、母に聞いてびっくりしました。何も気がついてあげられなくてごめんなさい。
後の受験も頑張るので、心配しないで体を治してください。〉といった内容のことが書いてありました。
私はありがたくてうれしくて、そして本当に申し訳なくて、人の目も気にせず号泣してしまいました。

手術して三日目、周囲の人の計らいで個室に入ることになりました。
部屋に入ると急に静かになり、ポツンと一人取り残されたような寂しさが、私の心の中に広がっていきました。
大部屋にいた時は、人の出入りが激しくお腹の痛みもひどかった為、現実をあまり直視することはありませんが、個室になると、嫌でも現実と向かい合わなければなりません。

一日一日、痛みが薄れていくのと同時に、お腹の子を亡くした悲しみがどんどん大きくなっていきました。
『みんな結婚したら、当たり前のように元気な子供ができるのに。なぜ私達だけが五年目にやっとできた子を、こんな形で亡くさないといけないのか。この子は一生懸命生きようとしたのに助けてやれないなんて…。』

ぶつけるところのない憤りと悲しみが次から次へと湧いてきます。
この悲しみは身を切り裂かれたような…と言うより切り裂かれた方がましだと思いました。子供を亡くしたのに、私の体はどんどん元気になっていくのがたまらなくて、『こんな辛さを味わうぐらいなら、体の痛みを耐えているほうがましだ。』とも思いました。それでも人には同情されたくなかったので、見舞客には無理して笑顔で応対しました。

何日か過ぎた頃、ボーっとテレビを眺めていたら、あるタレントの妊娠会見が始まりました。レポーターの人達が、
「おめでとうございます。」と言うと、
「ありがとうございます。」と、うれしそうな笑顔。

『私だって本当は…。』

「今何ヶ月ですか。」と会見は続いています。

『ああ、同じ頃だったんだ。』

「予定日はいつですか。」

『ちゃんと子宮の中にあの子がいたなら、その頃には産まれるはずだったんだ。』

うれしそうに話しているその顔を見ていると、私の中で妬みが大きく膨らんでいきました。
私はたまらなくなってテレビを消すと、部屋の中が急に静かになり、今度は廊下から声が聞こえてきました。

「おめでとうございます。」と楽しそうな会話が始まり、
「赤ちゃんはどこ。」と子供の弾む声が聞こえてきました。

私は、ここは地獄だと思いました。

「赤ちゃんが盗まれた!」というニュースをたまに見かけますが、その事件の背景を聞くと、犯人達の気持ちが分かる気がします。
もちろん、この犯人達に同情の余地はありません。盗まれたお子さん達はどんな怖い思いをし、またご両親はどんなに心配し、眠れぬ夜を過ごしたことでしょう。たとえ赤ちゃんが無事ご両親の元へ返されたとしても、この心の傷の代償は決して償えるものではありません。

しかし子供ができないということで、周囲の何気ない言葉に傷つき、自分を追い詰めてしまうこともあるのです。
なのに、結婚すれば次は子供を早く作れと、周囲はうるさく言ってきます。
確かに、近頃子供を作らない夫婦が多いと聞きます。
しかしそれは、一部の人達のこと。そういうことも分からず、無神経に人の気持ちを逆なでる人があまりにも多すぎます。

私自身、子宮外妊娠以来、幸せそうな妊婦さんを妬み、赤ちゃんを抱いているお母さんを妬みました。そんな自分が嫌で、その人達の姿を見かけると目を背け、赤ちゃんの泣き声がすると耳を塞いでいました。
しかし、私はそういう気持ちを全て隠し、笑いたくもないのに笑っていました。

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