第5話 子供は産めるの?
入院中、先生は毎日病室にやってきて声をかけてくれました。
頑なだった私も、先生の温かい心遣いに触れ、次第に先生を信頼していきました。
入院して何日目だったでしょうか。手術後何も聞かされていなかった私は、
「先生、手術の結果はどうだったんですか。」
と尋ねました。すると、
「やっぱり左の卵管に着床していたので、卵管をとりました。今病理に出しているので、詳しくは後で説明しますね。」
という答えでした。そして、私は手術以来ずっと気になっていたことを、思い切って聞いてみました。
「私は子供を産めるんでしょうか。」
「そのことについては、退院の時お話します。その時は、ご主人も一緒のほうがいいでしょう。とにかく今は、体を治すことだけ考えなさい。」
私の心の中はますます不安が広がり、先生に詰め寄りました。
「だけど…私は…。」
先生に聞いてもらいたい事がたくさんあるのに、後から後から涙がこみ上げてきて声になりません。
すると先生は私に近寄り優しく、
「気持ちは分かるけど、まずはしっかり体を治しましょうね。」
とだけ言いました。
そう言われると、私はこれ以上聞くことができませんでした。
それから退院の日まで、一日でも早く退院することばかり考えていました。
退院前日は風邪をひいていて、先生や主人から退院を延ばすようにと言われたのですが、何を言われても聞き入れませんでした。
そして退院の日、主人と私は先生に呼ばれ、説明を受けました。
左の卵管に受精卵が着床し、子宮外妊娠になったこと。
妊娠六週目だったこと。
そしてちょうどいいタイミングで手術したので、輸血しなくてすんだこと。
それから切除した部分─私達の子供の部分の写真を見せてくれました。
赤黒いレバーのような塊で、もちろん人の形にもなっていません。
私の中で、なんとも言い表しようのない感情が湧き上がり、一生目に焼き付けておこうとその写真をじっと見つめていました。
その時先生は、
「あなたのお腹を開けてみて分かったんだけど、子宮内膜症だったのよ。」
と言いました。
それは初めて聞く病名で、子宮内膜によく似た組織が、子宮内膜以外のところで増殖して、月経の時期に剥がれ落ちて出血を繰り返してしまう病気だそうです。
「それに今回、片方の卵管をとってますからね。調べてみないと分からないけど、結婚して五年間、一度も妊娠しなかったということは、今残っている卵管も詰まっている可能性が高いと思うの。…自然での妊娠は難しいでしょうね。」
子供を亡くした上に自然の妊娠は難しい…。
女であることを否定されたようで、頭を後ろから思いきり殴られたような、ものすごいショックでした。風邪気味という事もあり、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃです。
先生はテイッシュを渡しながら、
「まだもう片方残っているんだから、そっちを調べてみないと分からないのよ。それに、もし詰まっていても、体外受精という手があるのよ。」
『体外受精?私は他人の力を借りないと子供一人作れない体なの?子宮外妊娠になったのは私の卵管が詰まっていたから?卵管がちゃんと通っていたらこの子は死なずにすんだ…。』
いろんな思いで頭の中は混乱し、涙がますます溢れてきました。泣いている私をしばらく見ていた先生は、静かにこう言いました。
「この子はそういう運命だったのよ。万が一産まれてきても、短命や障害児の可能性があったと思うわ。あなたはそういう子を抱えて生きていく覚悟があるの?」
正直言って、それはその時の私にとってつらい言葉でした。
けれどそのお陰で、自分自身をあまり責めずにすんだと思います。
亡くなったこの子のことを思い出す度、『この子は弱かった。そういう運命だった。』と自分に言い聞かせると、少し心が救われる気がしました。
先生は最後に、
「世の中には、医学的に見て、妊娠は困難だと思われる人がたくさんいるの。でも、私は今まで、そんな人達が妊娠・出産する奇跡をたくさん目の当たりにしてきたわ。今のあなたたちに言ってもピンとこないかもしれないけど、信じて決して諦めないで。」
と言いました。
しかし、その時の私たちには、先生の言葉が全く聞こえていませんでした。