成長したければ
高学歴、容姿端麗である事、高収入である事、性格が温和で従順である事、優しい事、気がきく事、頑張っている事、成績が良い事、スポーツ万能である事、人とコミュニケーションがちゃんととれる事、大手企業に勤めている事、公務員である事、医師、弁護士等有資格者である事、安定職に就ている事、感情的でない事、頭が良い事、常識的である事、家事をちゃんとしている事、仕事をしている事、学校に行っている事、お弁当を作っている事、勉強をする事、早起きをする事、お金持ちである事、等。
これらは何だと思いますか?
社会で価値を置いていると思われるものです。
この他にもいろいろあると思います。
これらを持っている人が、価値がある人たち、優れている人たち、正しい人たち、恵まれている人たちという訳ではなく、これらに価値があると思っている人たちが多くいるというだけの事です。
これらを持っていない人が、価値がない、劣っている、間違っている、恵まれていないという訳ではありません。
持っている人も、これらを外せばその人たちの内面があります。
その内面は、これらを持っていない人と同じ、冷静じゃない主観的で未熟で自己中心的で幼稚な一人の人間です。
身体は年齢分だけ、時間経過した分だけ成長します。
心は、身体のようには育ちません。
その幼稚な自分がいる事を認めない限り、人間としての心の成長はあり得ません。
たとえ、社会で評価される枠組みにいようとも。
その幼稚な自分を、否定する事なくそのまま受け止める。
未熟な自分はいちゃいけない自分ではありません。
どんな自分もそのまま受け止めて良いのです。
未熟な自分ではいろいろ不都合が出てきます。
だからと言って心に我慢させるのは子供のやり方です。
周りが許可するべきだという考えも子供のやり方です。
心に我慢させず、状況もそのまま受け止める。
そして、時間をかけて自分なりの答えを自分で模索する。
その答えは、自分の中にしかないですから。
すると、心は勝手に成長していきます。