思考は自由にすればいい。
自分の中の自分。
頭とは別次元で動いている自分。
皮膚の中で起こっている、楽とかきついとか、苦しいとか。
それが「感覚」です。
頭の中で理論立てたり、あーでもない、こーでもない。
ネガティブになったりポジティブになったり。
これが「思考」です。
そして、私たちが実際に手足を動かしたり言葉を発したり。
これが「行動」です。
感覚、思考、行動。
その中で、思考を重要視しがちですが、実際、思考を重要視しているが為に問題や症状やストレスが起きやすくなっています。
そこで、この三者の関係を分かりやすくイメージしてみたいと思います。
例えて言うなら、「頭の中」は貸し切りのモノレールの中。「感覚」は運転手です。
「感覚」がモノレールの方向やスピード(行動)を操作しています。
では、「思考」は何なのか。
乗客です。
意外だったでしょうか。
「思考」は、モノレールの方向やスピード(行動)を操作していません。
むしろ「思考」は、運転手の後ろでワーワー言って焦らせたり否定する事が多いかもしれません。
また、運転手の後ろで、あっち行けこっち行けとうるさく注文しているかもしれません。
はっきり言えば運転手の邪魔していると言えるかもしれません。
運転手にちゃんと目的地を間違えず、早く着いて欲しいのなら、安全運転をして欲しいのなら、運転手ー感覚を信じ、口出さない事。
みかんを食べながら外の景色を楽しんでいてもいいし、席で一人読書をしてもいい。
ワイワイ楽しんでもいい。
落ち着けないのなら、車両の中をグルグル走り回っててもいい。
目的地にたどり着けない悲劇のヒロインになって演じてみてもいい。
もちろん、目的地に着いた時の事を想像してもいいし、目的地に着いたらどうするか、計画していてもいい。
どうやったら目的地に着けるかと悩んでも良いし、どんな所に連れて行かれるのかと不安がってもいい。
モノレールの車両(頭)の中は自由ですから、乗客(思考)は好き勝手に、良い事も悪い事ものびのびとすればいいのです。
乗客は何をしてようが、例え目的地が分かっていなくても構いません。
運転手である感覚の邪魔さえしなければ。