先が見えないながらも、「自分として生きる」道を歩み始めた仲間たちへ
生きるか死ぬか。
そのギリギリの葛藤を乗り越えた人は、とても強いです。
ただ、それまでの過程を辿る本人の苦しみは想像を絶するものです。
そして、見続ける家族の辛さは尋常じゃないと思います。
だから家族の中には、何とか生きる事を守るため、金銭的にも物理的にも支えようと頑張る人たちもいます。
でもそれは、本人に「人間の機能を維持する」のみの許可であり、「自分として生きる」事は、その本人の意思と行動でしか叶えられないのです。
何とか生きる事を守られている状態で、それを踏み台にして「自分として生きる」意思を持ち、行動できればと思うのですが、現実なかなかその一歩を踏み出せません。
自分の背後に守ってくれる人がいる。
居場所がある。
それは、生命維持のためには良い事かもしれません。
それを最優先にする。
もしかしたら、当然なのかもしれません。
でも、それがあるから、自分として生きる一歩を踏み出せない場合も多いのです。
自分の能力や欲求に気づけない場合も多いのです。
支え、守ってくれる人がいようといまいと、本人がする事は何ら変わりません。
むしろそういう存在がいるから期待してしまう事もあるでしょう。
だから、あえて自分の背後にある、守ってくれると思っているものを自ら絶つ。
もしくは、周りが絶つ。
そこまでしないと、なかなか能力や欲求に気づかない事が多いです。
それは本人からすると、生きるか死ぬか、究極的な選択に感じる事も多いでしょう。
とても厳しい選択です。
どんなに家族が守り支えても、家族にどうにか出来ることではなく、本人が自分で生きる選択をし、乗り越えるしかありません。
自分として生きたければ。
私は、そういう究極的な選択をし、生きる事を選んだ方をたくさん知っています。
彼らは生きる事を選んだ結果、自由に向かっています。
精神的に大人になり、社会の中で打たれ強くなり、逞しくなってきています。
それは事実です。
今の自分の延長線上に、明るい未来がある事を信じ抜いて欲しいと願うばかりです。
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