自分の言動に責任を持つ。
自分の言動に責任を持つ。
社会では、何か責めを負うものとか、重いものを背負っているイメージであったり、失敗や間違いが
許されないような感じがあるかもしれません。
実は心での「責任を持つ」は、自分が発した言葉、自分がした行動を、「自分が言った」「自分がした」と認める。
ただそれだけです。
そこに、良い悪いとか、間違っている正しいとか、優れている劣っているとかの価値観は入っていません。
ただ、言ったか言わなかったか。したかしなかったか。
ただそれだけです。
心では、それを認めたほうが楽になります。
認めていないと、きつくなります。
そのきつくなるのが嫌で、人はよく、「理由」をつけたくなります。
こうだからした。っていう風に。
また、そのきつくなるのが嫌で、だれかや何かのせいにしたくなります。
(何のせいで、)こうしなきゃいけなかった。っていう風に。
ここで言いたいのは、認めなきゃダメだとか、理由をつけたら、何かのせいにしたらダメだと言っているのではありません。
理由をつけたり、何かのせいにする。
もしそうしているとしたらそれは、自分の言動を認める事から抵抗しているきつさを感じたくないからかもしれません。
それは、そもそも自分の言動に否定感があるから。
その否定、本当にする必要があるんでしょうか。
例えば、自分や人を傷つけるような言動なんでしょうか。
※もし自分や人を傷つける言動をしているとしたら、もちろんそれはしてはいけない事です。そこで必要なのは否定ではなく、自分や人を傷つける言動の根っこにある気持ち(分かって欲しい、認めて欲しい、受け入れて欲しい等)の存在を認める事です。カウンセリングで改善可能です。
傷つける言動でもないとしたら、それは表に出して良い言動ではないでしょうか。
ただ、それは相手や場に受け入れられるかどうかわかりません。
自分の言動、もちろん出して良いと思います。
そして、その言動によって相手や場がどう反応するか。
それもうけとめる覚悟も必要かと思います。
その言動が、相手や場の意向に沿わなければ、相手や場から、非難等が起きる可能性があります。
それは、自分の言動が悪いからとか、間違っているから非難等が起きる訳ではありません。
相手や場の意向に沿わなかった。ただそれだけです。
そして、自分の言動を非難をされたとしたら、それは理不尽な事です。
自分が自由に言動して良い。
そして、それは必ずしも受け入れられるとは限らない。
それを受け入れない場や相手が悪い訳でも、自分が悪い訳でもありません。
それは、仕方ない事です。
ただ、非難等はされる筋合いじゃないですし、場や相手が非難したのなら、それはq「悪い事」だと思います。
それらも含め、その現実を受け止め、その相手や場との距離間や付き合い方を決めれば良いと思います。
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