その人を否定する事はその人を潰す。
人に対して良かれと思い、奮起して欲しくてその人を否定する。
自分に対して、自分の成長のために自分はダメだと否定する。
どちらも、それがためになる事と思い、している事かもしれません。
否定は、成長の促しではありません。人の可能性や個性を潰します。
評価はどうかというと、過剰な評価はその評価にあぐらをかかせ、現実から目を背けさせる逃げ場となりうるでしょう。
また、そうでなきゃいけないと、その評価の枠に固執するかもしれません。
それも、成長の妨げになります。
もしかしたら、その人に対して、「こうであるべき」を押し付けていませんか?
社会には、無数の「こうあるべき」があります。
犯罪行為、人や自分を傷つける行為以外、してはいけない事はないはずです。
心が未成熟な子どもであれば、躾での「こうあるべき」がいくつか必要ですが、大人には本来必要ありません。
それは、子どもは未成熟で自分で判断できないので、「こうあるべき」という首輪をして、社会から身を守ったり、健全な心身を保つ術を身につけるためであったり、取り返しにつかない事をしてしまうのを防ぐためです。
「こうあるべき」という首輪は、大人にとってはとても窮屈で苦しく、時には、その人を身動きできなくしたり、死んだ方がマシと思うほど苦しめるものです。
その人の否定は、その人に、無理やり窮屈な首輪を閉める行為で、その人のやる気を奪い、その人を自分の支配下におく行為です。
もし万が一、その否定がその人のためではなく悪意でしているのであれば尚更の事です。