第14話 主人の本音

今回は、主人に当時の気持ちを聞いて、それを綴りました。

結婚五年目、初めての妊娠で「子宮外妊娠の可能性が強い」と告げられた時、「子供ができた事に変わりはない!」と心の底から喜び、友人達にも即報告をしていました。そして偶然にも、主人の仲の良い友人二人の家庭でも奥さん達の妊娠が発覚したらしく、祝いの酒を酌み交わして能天気な程、無邪気に喜んでいました。当然、子供は無事生まれるものと信じ込み、子宮外妊娠の事や、その意味すら考えようともしていませんでした。
しかし、その約一週間後、子供という希望は儚く消え失せてしまいました。
当然、同時期に妊娠したその友人達の顔を見るのも辛く、なかなかその報告もできなかった様です。しかし、主人は当時を振り返りこう言いました。
「辛かったけど、虎之助(主人が勝手につけていた子供の名前)の存在を明らかに感じて喜べる瞬間だったので、人に妊娠の報告をした事を後悔はしていない。一端の父親になれた気分だった」と。

主人の会社へ電話をかけ「お腹が痛い(=即手術になるだろうという医者の事前告知は主人も承知)」と告げた時、「もう子供は駄目なのか?お前は大丈夫なのか?」と言い、不安と心配で会社を早退して急いで病院に駆けつけてきました。その道中も「どっちも死なないでくれ」との思い、そして、ほんの一パーセントでも子宮外妊娠ではない可能性を信じて、全く諦める事はなかったそうです。
病室で私の顔を見た時、「生きていて良かった」とまず安堵し、次に「今の子供の状況は?」と医師に詰め寄っていました。その後、医師から手術を受けなければならない旨の説明を受け、嫌が応にも現実を受け入れなければならない時を迎え、大きな衝撃を受けたそうです。
「待ちに待った妊娠なのに・・・」とショックを受けながら、私の方がはるかに辛いだろうと、自分自身の意識は殺して気丈に振舞っていました。

私の手術中の主人の様子を聞くと、ほとんど寡黙で、私の無事を祈りながら、頭の中では「将来虎之助とこんなことやあんなことを一緒にしたかった」等の叶わなかった夢を思い描いていたそうです。又、自分より後に結婚してすぐに子供を授かったにも関わらず離婚してしまった身近な人の事を妬んだりしていた様です。
今になって思えば、主人も言葉や態度に表さないだけで、私と同じ思いだったのだと改めて知らされます。

夫婦の間でこうも受け取り方が違ったのかと主人の話を聞いて驚きました。
子宮外妊娠手術での退院前説明の際、医師より「自然の妊娠は無理だろう。残された手段は体外受精しかない」と告げられました。私は大きなショックを受けましたが、意外にも主人は「へぇ、自然の妊娠は無理でも子供を授かる方法があるんだ。」と内容もわからずに能天気に希望だけをもったそうです。

実際、体外受精をする為、辛い治療に耐えながら通院する期間も、主人は相変わらず「体外受精をすれば妊娠できる」と何の根拠もなく簡単に考えていたようです。ちなみに夫婦そろって治療の説明を聞いていたにも関わらず・・・。
そして以前と変わらず、仲の良い友人達には、もう時期子供ができるだろうと吹聴していたみたいです。
私は「そんな事、他の人に簡単に言わないで!」とよく怒っていましたが、主人からすれば子供を持てる希望の事しか考えておらず、単純に嬉しかっただけの様です。
しかし、体外受精の回数が重なるにつれ、毎回の大きな期待の反動は、更に大きな落胆となって返ってきました。

最後にしようと決めていた三回目が失敗に終わった時、「我々夫婦が妊娠することはもう無理なんだ。」
と半ばやけになっていた様です。
私が四回目を挑戦したいと言った時、もうこれ以上落胆したくないという気持ちがとても強く、もう希望等考えず、端から百パーセント諦めていました。「万が一できればラッキーかな。でもまず無理だろう・・・。」としか考えておらず、私の意思が固かった為、気が済むように承諾してくれただけでした。

それ故に妊娠を知った時、天にも昇る気持ちだった様ですが、以前の子宮外妊娠の一件がトラウマとなり、正直素直に喜ぶ事ができませんでした。まずは「また子宮外妊娠ではないのか」と心配していました。
その心配が消えた後も、「せっかく授かった命。生まれるまで安心できない!」と慎重にならざるを得ませんでした。

私が切迫早産で長期入院を強いられた時、仕事もしながら家事もしなければならず大変だと思っていました。しかし主人は、面会時間以降は自由時間とばかりに、外にお酒を飲みに行って羽を伸ばしていました。
今、その事を問い詰めると「家に一人でいるとたまらない気持ちで押し潰されそうになる。」といかにも嘘っぽく照れくさそうに言いました。私は「これは、少しは本当ではないかな?主人なりの現実逃避だったのではないかな?」と思います。主人も態度に表さないだけで、常に不安があったのだと思います。
入院中の私の前では常に冗談ばかりでしたが、少しでも私の不安を和らげたかったのだと今思います。

最後に出産時の事について尋ねてみました。
帝王切開手術は予定以上に時間がかかり、不安で仕方なかったそうです。
生まれた子供は保育器に入れられ、「おめでとうございます」と一言だけ言われ、迅速に目の前を搬送されていきました。主人は何が何だかわからず、なぜこんなにあっという間に通り過ぎて行くのか?更に不安は増長するばかり。そして、やっと手術室から出てきた医師から「おめでとう」と言われ詰問したそうです。
「先生、子供は!」
「さっき見なかった?無事よ。未熟児だから迅速に小児科の先生に処置してもらう為に急いでいたのよ。」
「じゃあ、うちのかみさんは!」
「腸が癒着していたから剥がすのに手間取って時間がかかったけど大丈夫よ。」
子供と私の無事を初めて聞き、安堵と待ちに待った子供をやっと授かった喜びで、その場に崩れ落ちて大声を上げて泣き出したそうです。この事は後に直接、担当の先生からも伺いましたが、先生も驚いたそうです。

今、当時を振り返り思う事は、体外受精は私にとっても主人にとっても大きな試練だったという事です。
私と共に希望を持ち、落胆し、感情をぶつける私を必死で支えてきました。心身共に疲れ果てながらも治療に励む私を傍で見守ってきました。しかしそれらは全て、当時を振り返り、主人との話の中で分かった事です。

確かに、男性である主人と女性である私とでは、一つ一つの出来事の捉え方の違いはあります。その捉え方の違いで、「不妊治療の経験のない主人には、私の気持ちなんか分からないんだ」と一概に思い込んでしまっていた事、主人に対し申し訳なかったと今になって思います。

世の中には体外受精について、「医師と患者のみの共同作業である」という意見もあります。そういう方も多々いるかもしれません。しかし、私の体感として言わせてもらえるのであれば、『自然妊娠や人工授精、そして体外受精や顕微授精、全て「夫婦」と「医師」との共同作業に他ならない。』
これが実体験から得た私の正直な意見です。

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