人間として生きるのか。それとも、社会の部品として生きるのか🥺

人には、人間として生きるという道と社会の部品として生きるという道があります。

みんな、人間として生きているんじゃないのか。

そう思う方もいるかもしれません。

人間として生きるとは、自分の意思で生きるという事。

自分軸、自分はどうするかで生きるという事。

社会の部品として生きるとは、社会の価値観に合わせて生きるという事。

他人軸、人から認められる生き方をするという事。

前者は少数派であり、そういうコミュニティはほとんどない状態でしょうし、そういう集団も少ないでしょう。

後者が多数派であり、ほとんどのコミュニティ、集団がそれを正解だと捉えています。

また厄介な事に、やっている事は後者だけれども、表では前者と謳っているコミュニティや集団は非常に多いのではないでしょうか。

前者と後者は目指している方向は真逆です。

前者は向かう方向はあるものの、それぞれが自由であり、正しいも間違っているもありません。

向かう方向はそれぞれの自己成長であり、その集団の成長です。

嫌がられるのは、操作や決めつけや強要しようとする行為でしょう。

後者は正解がちゃんとあり、外れる事は間違っている、もしくは悪いと判断します。

向かう方向はそれぞれが正解の枠組みに入る事であり、その集団の統一です。

嫌がられるのは、枠組みに入らず、和を乱す行為と言えると思います。

どちらが良いのか。

それは好き好きでどうでも良い事。

それを論じる事自体後者ではないでしょうか。

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