「子どもを信じる」と「感覚を信じる」は似てる。
自分の感覚に自信がない。
自分に自信がない。
そういう言葉、聞きます。
ちょっと例えてみましょうか。
「思考」を「親」と見なし、「感覚」を「子ども」と見なしてみます。
親は、子どもの事が心配です。
自分のテリトリーにいる間はいいのですが、自分のテリトリー外に出ると、いろいろな心配が出てきます。
ちゃんと社会でやっていけるだろうか。
失敗しないだろうか。
辛い思いをしないだろうか。 等
そして、口出しします。
ちゃんとしなさい。
とか、
こうしなさい、ああしなさい。
とか。
時には、その子どもが失敗しない、辛い思いをしないために、
何故こうしないの! とか。
更に、失敗した、辛い思いをした子どもに対し、
あなたが言うことをしなかったから。
あなたのここが間違っていたから。
と責め立てます。
これらをする親側、される子ども側。
ほとんどの人がどちらかの立場を経験していると思います。
される子ども側しか経験した事がない人は、「全くウチの親は過保護、過干渉なんだから」
と思っているかもしれません。
その人たちも含め、尋ねます。
あなたの「思考」は、あなたの「感覚」にたいし、「過保護・過干渉な親」になっていませんか?
過保護・過干渉な親に対し、子どもがするのは我慢して合わせるか、反発するかどちらかです。
子どもの意識するのは、否定し、押さえつける親や社会です。
自分の中で起きている、思考と感覚の関係も同様です。
過保護・過干渉な「思考」に対し、「感覚」がするのは我慢して合わせるか、反発するかどちらです。
これでは、自分自身であったり、社会等外で起こっている事実へ意識は向きません。
「自分とは何か」とか、「自分はどうしたいのか」は出てきません。
自分の感覚に自信がない。
そんなの当たり前です。
最初から自信がある人はいません。
不安だけど少しずつ信頼し、成功体験を積み重ねないと自信はつきません。
それは、自立を前にしている子どもに似ている気がします。
不安だけど、いろいろ言わず送り出す。
不安だけど、自分の力でやってみる。
子どもも感覚も、意外と何とかするものです。
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