自分を受け入れるってかなり難しい。
自分を受け入れればいいと言うけれど、
どういう事が自分を受け入れる事なのか。
そんな疑問がある人もいるのではないでしょうか。
例えば、物を盗んでしまう自分、受け入れていいのか?
リストカットをしてしまう自分、受け入れていいのか?
人に暴言を吐いてしまう自分、イライラをぶつけてしまう自分、受け入れていいのか?
そう思うかもしれません。
これは私の解釈ですが、
この「受け入れる」は、「あっていい」や「していい」などの許可ではないと、私は理解しています。
つまり、
「私が物を盗んだ」とか、「私がリストカットをした」という風に、事実をそのまま受け入れるという事です。
そこに否定も評価もなく、事実がある。ただそれだけです。
それは、自分の中の「思考」や「感覚」についても言えて、自分にとって都合が良かろうと悪かろうと、あるものはある。という事です。
例えば、イライラやネガティヴ思考等は、多くの人にとって都合の悪い、無い方が良いと思うものかもしれません。
それらもあると、否定も評価もしないで、そのまま受け入れるという事です。
また、こうだからイライラした、こういう家庭環境だからネガティヴ思考になった、っていう風に、なんらかの理由をつける事が、自分を受け入れる事と思っている人もいるかもしれません。
これも私の解釈ですが、これは、「正当化」だと、私は思います。
誤解して欲しくないのは、「正当化」がどうのという事を言いたいのではありません。
正当化をするという事は、根底に否定感があるという事です。
例えば、イライラに対する否定感があるから、「こうだから」という理由をつけたくなるという事で、
イライラしている自分を否定している自分がいる。そしてそれを認めたくない自分がいる。
というのが、自分を受け入れるということではないかなと思います。
私は、「自分を受け入れる」とはかなりハードルが高い事で、「自分を受け入れればいい」と、簡単にできる事ではないと思います。
ただ、かなり難しい事ではありますが、こうして「自分を受け入れる」事をすると、不思議と楽になります。
人の感覚って、ちゃんと自分がした事をしたと認めたがっているし、都合の悪い考えや感情も、「ある」と認めたがっているんだなと思います。
って事は、「責任とりたくない」と思うのも、「ネガティヴ思考の自分は嫌だ」と思うのも、人間本心ではないのかもしれませんね。