第9話 奇跡

無我夢中での育児の中、一月一月があっという間に過ぎ去っていきました。
育児の合間にふと、先生方に「自然の妊娠は無理だ」と告げられた事に寂しさが過ぎる事がありました。

贅沢だという事は十分承知していますが、女として次の妊娠を諦めきれない自分が心の片隅に残っていました。
この間子供を産んだばかりなのに、「できれば、もう一度だけでいいから妊娠・出産の喜びを味わいたい」という気持ちが自然とこみ上げてきました。
まだ子供を欲しいと願ってしまう事がとても図々しい事のような気がして、慌ててその気持ちを打ち消し、「私は二人も子供に恵まれた。これ以上望んではいけない」と自分に言い聞かせました。
又、そんな自分は、何て欲深い人間だろうと思いました。

その様な気持ちの最中、生理がしばらく遅れている事に気づきました。
まさかと思い妊娠検査薬を購入し、妊娠反応を調べてみました。
あれだけ医者から自然の妊娠は無理だと言われていたにも関わらず、なんと結果は陽性でした。
正直、喜んでいいのかどうなのか分からず、私達は戸惑い、すぐに病院へ向かいました。
病院への道中、私の心のどこかに隠れ、ずっとくすぶり続けていた小さな希望は心を明るく灯しました。

しかし診察時先生からの返答は、
「そんな事あるはずがない。もし妊娠していたとしても、子宮外妊娠に間違いないだろう」というものでした。
念のため、子宮の中をエコーで確認しても子供は確認できず、「出血が始まったらすぐ病院へ来るように」とだけ告げられ、帰路へつきました。

奇跡を信じ、胸を膨らませたのも束の間、主人と私は大きな衝撃を受け、激しく動揺しました。
「やはり、奇跡なんて誰にでも起きるわけない」と自分に言い聞かせながらも、何故二度もこんな悲しい思いをしなければならないのかと、悲しみを超え憤りがこみ上げてきました。
その気持ちを何とか押し殺し、気落ちしている自分を励ましながら日々の生活をどうにかこなしていました。
家事等をしている間は気が紛れ、現実を忘れる事ができるのですが、ふと時間が空いた時、大きな悲しみがこみ上げてきました。小さな二人を残して、数日のうちに手術に向かわなければならない辛さばかりが心を占め、一人になるとポロポロ涙がこぼれました。

一日一日がとてつもなく長く思え、出血や腹痛の有無を常に気にして、気の休まる時はありませんでした。
疲れているはずなのに夜もなかなか眠る事ができず、「手術が上手くいかなかったら、この子達はどうなるのだろう」と死の恐怖を感じる事もありました。
その都度お腹の子供の命が危ないというのに己の身を案じている自分に気づき、罪悪感を覚えました。

長い一週間が過ぎました。
何事もなく一週間が過ぎた事で消えかけていた小さな希望が再び灯りましたが、期待して裏切られた時の事を考えると怖くて、主人と私は無言のまま病院へと向かいました。

診察を待つ間もできるだけ何も考えないよう、テレビをただ眺めているだけでした。

長い待ち時間の末、とうとう診察の順番がやってきました。固唾を呑んで先生からの言葉を待ちました。

診察の結果、子供の芽がちゃんと子宮の中で育っている様子が確認でき、間違いなく妊娠しているという事が判明しました。
先生も首をひねって、「考えられない。信じられない。」と終始不思議がっていました。

自然の妊娠は無理だと言われていたのに、妊娠する事ができたという事。
これは、大きな感動と喜び、そして不妊症である私にとって、大きな希望を与えてくれました。
かつて子宮外妊娠をした直後、先生から「医学的に妊娠は不可能という人でも、自然に妊娠する事がある」という話を聞かされていた事を思い出しました。
当時、まさかその奇跡が自分にも起こり得る事だとは思っていませんでした。

今当時を振り返り感じる事は、信じる心は奇跡を生み出す力を持っているかもしれないという事です。
たとえ医学的見地から妊娠は無理だと言われたとしても、可能性がゼロでない限り、又、信じる心が僅かでも残っている限り、奇跡は誰にでも起こり得る可能性を秘めているのではないかと、私は自分の経験からそう信じる様になりました。

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