第1話 出版までの軌跡

「自然の妊娠は無理でしょう」
この言葉は、私を絶望の谷底へ突き落としました。

結婚5年目、待ちに待った待望の妊娠は子宮外妊娠。当時通院していた病院で、卵管摘出手術を受けました。小さな小さなわが子は妊娠6週目でした。
私はお腹の子を亡くしたという事実を受け入れることができず、悲しみに打ちひしがれている最中、医師からその言葉を告げられました。
医師は更にこう付け加えました。
「もし自然妊娠が無理でも、体外受精という方法があります」
その時の私にとって、その言葉は何の慰めにもなりませんでした。それは、私が不妊症だという事実を突きつけられたに過ぎなかったからです。
気持ちが落ち着きを取り戻した後、私は体外受精を開始しました。
毎回、「今度こそは」と治療に臨み、過度に期待する。そして、生理によって治療が全て無駄になったという残酷な現実がやってくる。絶望と言い知れぬ空虚、そして悲しみだけが心に残る・・・。
そんな思いをずっと繰り返してきました。

今、私は思います。
不妊治療は、本当に辛くて苦しいものでした。
大きな肉体的苦痛に加え金銭的負担。その上、人と会う度に放たれる「子供ができない夫婦」へのきつい挨拶等の精神的負担。
当然彼らに悪気はなく、その言葉がどれだけ私を傷つけたかも分かってはいません。
私は、ただ必死に作り笑いをするだけで精一杯でした。
その時怒ることができたら、泣くことができたら、どんなに楽になれたことか・・。しかし、私にはどうしてもできませんでした。二人になると、私は主人に何度も泣きながら訴えました。
「何故私達の所へは赤ちゃんが来てくれないの!」

多くの葛藤や絶望と戦いながら不妊治療を繰り返した結果、現在は子供と一緒に生活することができるようになりました。私達が語らない限り、子供自身も体外受精でできた子供だと認識することなく生きていくことでしょう。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。体外受精でできた事を教えない事が、本当に子供のためになるのだろうか。

私達の頭に大きな疑問がよぎりました。
私達夫婦は、この「体外受精をして授かったという事実」を子供達に伝えるかどうか、長い間悩み、何度も話し合いました。その結果、きちんと事実を伝えようという結論に達したのです。
知らないですむのなら、その方が幸せかもしれない。もしかしたら傷つき、心に深く傷が残るということがないとは言い切れません。しかし、不妊治療は決して誰に対しても恥じることではありません。私達が選んだ体外受精という選択と決断は正しかった。今もそう強く信じています。
私達が出した結論は、子供にとってあまりにも重くあまりにも大きな壁かもしれません。しかし、その壁を乗り越え、堂々と生きて欲しいと強く願いました。
「こんなにあなた達が欲しかったんだよ。あなた達の命をこんなに愛おしく思っているんだよ。だから、授かった命を大事にして欲しい。自分の命も人の命も・・・。そして、あなた達だけには、お腹の中で先に亡くなってしまった兄弟がいたという事実を覚えておいて欲しい。」
その思いをいつか子供達に伝えたいと心から思いました。

約2年の歳月をかけて書き続けた日記が礎となり、幸運にも出版される事が決定しました。
出版に到るまで、辛い過去を思い出し、泣きながらペンを走らせたこともありました。内容に対する意見の食い違いから、主人と激しい口論となり、それを破り捨ててしまおうと思ったことも・・。
そんな葛藤を繰り返し、身を削る思いで書き綴りました。そうして、私の著書「いつか伝える日がきたら・・・」が生まれたのです。

私は一人の弱い人間です。医学的知識もありませんし、心理学の勉強をした訳でもありません。私は、不妊などで悩んでいる方々の心に寄り添っていたい・・。ただそれだけなのです。
今の私にできる事は、不妊治療体験で、私が感じた事、得た事、そして今感じる事、又、本書で書けなかった事等を素直に語っていく事だと思います。この手記が、少しでも皆様の気持ちに添うことができたら幸いです。
これからの連載期間、未熟者ではありますが、皆様宜しくお願い申し上げます。

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