第6話 体外受精

子宮外妊娠は、私に大きな決断をさせました。
病院での手術後わが子の受けた扱いは、単なる臓器摘出手術であったかのようでした。

私はガンや腫瘍を摘出したのではない!
愛おしいわが子の命を摘み取ったのだ!

術後間もなく、癒着を防ぐ為歩くように促されました。しかしそこは赤ちゃんの泣き声や妊婦さんが行き交う産婦人科病棟・・・。
退院二日前になってようやく、部屋から足を踏み出しました。
部屋に戻るとドッと疲れと悲しみが溢れ出し、ベッドの上で声を殺して泣きました。

そんな自分の感情と周囲の対応とのギャップはあまりにも大きく、ずっと悲しみの感情を表に出すこともできず苦しみを抱えていました。

退院した翌日、妊娠前と何ら変わりない日常をスタートさせた心の中には、身を切り裂かんばかりの悲しみとぽっかり穴が空いてしまったような寂しさがありました。

セントマザー産婦人科医院で検査結果を告げられて間もなく、別室に移された主人と私は、看護師の方から体外受精についての資料が渡され、詳しい治療内容を説明されました。
その資料の中には体外受精の他に人工授精などの説明も書かれていました。しかし、一つしか残っていない卵管も詰まっていた為、受けた説明は体外受精のみでした。

厳しい現実を否応なく目の当たりにし、私はその現実を受け入れる他ありませんでした。
その結果、心の傷はさらに深まり、女性としてのプライドは波に洗われていく砂城のように少しずつ崩れ落ちていきました。
いつの間にか、元来持っていたはずの明るさや快活さは消え、自分本来の姿を完全に見失ってしまいました。
真っ暗なトンネルの中に一人取り残され、手探りで進む私の前方はもちろん、後方にも一筋の光さえも見出す事ができませんでした。
ふと心に過ぎる「明るい明日なんて来るのだろうか」という不安な気持ちを必死で拭い、何とか気持ちを奮い立たせては治療へ向かいました。

体外受精の回数を重ねる度、薬の飲み方や受精卵を戻した後の体勢、戻し後の生活に至るまで細心の注意を払うようになりました。
今思えば、あれだけ治療に没頭したのは、「子供が欲しい」という気持ちだけでなく、心に空いてしまった大きな穴を埋めようとしていた気持ちも少なからずあった事は否めません。
狂おしいほどの悲しみや寂しさがこみ上げるたび、「子供が生まれさえすればきっと心は癒される。悲しみを忘れる事ができる」と必死で自分に言い聞かせ、治療に向かっていました。

しかし、どんなに工夫し努力しても良い結果は出ませんでした。

「子供が欲しい」というささやかな夢―。
誰にでも簡単に手が届くものだと思っていたその夢は、私達にとって、はるか遠いものなのだとその時痛感しました。

当時、多忙な主人を一人残し実家に帰省した事がありました。
実家で親戚の小母に会い、
「子供がいない人はいいわねー。一人で気楽に帰省できて。全く羨ましいわー」と言われました。
小母を腹立たしく思いましたが、言い返す気力も奪われ、笑顔の仮面をつけるのが精一杯でした。
そして一人になった時、悔し涙を流していました。

やはり不妊症という現実からは、いつどこにいても逃れる事はできない。私の心の中にはいつもどんよりと暗雲がかかったままでした。
しかし、歯を食いしばって前を向き、「今月こそは」と自分に言い聞かせていました。

約束だった三回目の体外受精も生理の始まりで幕を閉じました。
ショックから立ち直れず夢をどうしても諦める事ができない私は、主人とのその約束を受け入れる事ができず、もう一度だけと懇願しました。
「最後に気の済むようにさせてやろう」という主人の計らいで、私の訴えは受け入れられました。

大きな期待と落胆に疲れ、全く期待していない主人とは対照的に、「主人の了解を得られた」と私の心には希望が蘇りました。

もう一度体外受精ができる!
もう一度子供を持つ夢が見られる!
今度こそは妊娠できるかもしれない!

期待に胸を膨らませる一方、そろそろ夫婦二人の人生を覚悟しなければいけないと、もう一人の自分が心の中でつぶやいていました。

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